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浄土宗 光明山 大 蓮 寺
大蓮寺什物
本尊 木造阿弥陀如来坐像
像高 53,3 膝張41,5
寄木造、玉眼、肉身部漆箔、着衣部漆塗
本尊。頭体とも後世の削り直しが認められるものの隙のない造形である。
室町時代作か。両脇侍は昭和の作。
川崎市教育委員会『川崎市彫刻・絵画緊急調査報告書―本文編―』1986年
木造大日如来坐像
像高 155,5 膝張109,5
光背高 182,5 台座高 57,5
寄木造、彫眼、肉身部漆箔、着衣部黒漆塗
金剛界主尊。大像で現状調査のみ。
※胎内銘等については「大蓮寺関連資料」を参照。
近世仏とはいえ、銘を有する半丈六の大像(大日は少ない)として貴重である。
江戸時代〔延宝七年(一六七九)銘〕作。
川崎市教育委員会『川崎市彫刻・絵画緊急調査報告書―本文編―』1986年
木造阿弥陀如来立像
像高 91,7 台座高17,5
一木造、彫眼、肉身部漆箔、着衣部黒塗
損傷甚だしく体部と衣文は定かでないが、面部は室町時代前期風。
室町時代作。
川崎市教育委員会『川崎市彫刻・絵画緊急調査報告書―本文編―』1986年
大鏧(鏧子[きんす・けいす])
江戸中橋桶町の信徒女講中11名の連名による。
第13世 輪誉哲應上人代 天明元年(1781)10月10日に奉納。
『大日如来略縁起』に「天明度、同地深川の信徒、流行病を免れ、鳴鏧壱個を佛前に喜捨せり」と記されるものと考えられる。
⇒銘文詳細はこちら
住職調査(2017)
銅製 打出し
口径三八・〇 高さ三一・〇
江戸時代[天明元年(一七八二)]
大蓮寺の鏧子は銅製で打出し。周縁部に長文の銘文が刻まれており、天明元年の当寺第一三世輪誉上人の代に、江戸中橋桶町一町目(東京都中央区)の女念仏講中一一人の寄進によって造られたことがわかる。
川崎市『川崎市史』資料編1、1988年、P702
ほか、順次調査次第掲載
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