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大日如来縁起

大蓮寺に安置されている大日如来の縁起についてご紹介いたします。

大日如来略縁起 (版木原文を現代仮名遣い翻刻)

 夫れ当山に安置し奉る大日如来(四魔降伏の尊容は『大日経』の意を取るに、梵音の「摩訶毘廬遮那」此の邦に「大日」と訳す。日輪、世界を行道するや、有情卉木等、其の性分に随い各々増長することを得るが如く、此の如来の日光、遍く十方三世を照らし、無量の衆生、種々の願意を成就せしめたまう。故に「大日」と云う。不動尊は其の忿怒身なり)、人王四十四代、聖武天皇の勅を蒙り、行基菩薩、東国巡化、此の地に至りしに、疫病、頻りに流行す。菩薩、悲歎し患者の急難を救わんが為、錫を留め此の像を彫刻したまうに由り、病災、忽ち消除し、庶民安堵せり。更に末代を思し召され一宇の草堂を創建し、此の尊を奉請し、「光明山照曜院大蓮寺」と号す。是れ当山の権輿なり。爾来、利益を蒙る者、幾多ぞ、我が村里、今に至りて疫病の為、死する者なし。但だし不敬誹謗の輩を除く。

 嗚呼、斯の如き霊像も興廃は世の定事、桑田の変、幾星霜、法運も時運とともに衰塞し、堂宇、漸次に壊頽し、暴風強雨の際、偶々、丘崖崩れ落ち埋没せり。時に尊体は東の方、十有余間隔つる所へ動座し避けたまうこと、猶、生身の如し。里民等、且つ駭き、且つ敬い、仮に遷すに茅茨の屋を以てす。

 之を久うし、神君御治世、其の清時に値い、其の幕下、長坂公、此の邑を知行す。公、或る夜、霊夢の感あり。爰に寛永二年、堂舎を再建し、浄宗の知識、聞能和尚を迎え始祖とす(往昔、天台宗、浄土に改む)。此に於いて其の名広く、信者、日に増し、月に加わり、遠近の諸人、仰がざるなし。

 其の最も不思議の利益を蒙りしは、宝暦年間、江戸に大火あり。中橋桶町の信徒、某、急災に防術を失い、唯だ一心に本尊バン字の功徳を念じ、南無大日如来と唱えしに由り、四面焰火中に於いて之れを免るることを得たり。此の報恩の為、堂宇を修繕し、并びに洗漱の石水盤を寄附す。

 又、天明度、同地深川の信徒、流行病を免れ、鳴鏧壱個を佛前に喜捨せり。

 因りて火防せ厄除けの如来と称す。

 今、来由を述言し、一、二の利益を併せ記す。

 

 寛政三辛亥年四月、武蔵国橘樹郡稲毛領久本村 大蓮寺

 明治二十年五月 改刻

大日如来略縁起(現代語意訳)

 当山、大蓮寺に安置されているあらゆる災厄を除く大日如来(『大日経』には、インドでは「摩訶毘盧舎那」と呼ばれ、それが中国では「大日」と訳されたとある。太陽の光があらゆる生命を成長させるように、この大日如来の光もあらゆる世界、また現在・過去・未来を照らし、数えきれない衆生の願いを成就させるのである。そのため「大日」といわれる。不動明王は大日如来の忿怒した姿である)は、第四十四代聖武天皇の御代、天皇の遣いを蒙った行基菩薩が関東を巡り教化し、この久本の地を訪れた時、流行していた疫病から村民を救うため、この地にしばらく留まり、彫刻したものである。その霊験により疫病はたちまちに治まり、人々は安堵した。行基菩薩はさらに、後世のためをおもい、一軒の草堂を創建し、この大日如来を安置し、「光明山照曜院大蓮寺」とした。これが当山 大蓮寺の由来である。それ以来、この大日如来の利益を蒙る者がどれほどになるだろうか。この久本村では今に至るまで疫病によって亡くなる者はいない。ただし、敬いの心がなく、仏法を謗る者を除く。

 しかし、このようなありがたい霊像も、世の中の盛衰に変わりなく、長い年月とともに廃れ、堂宇は次第に朽ちていった。ある時、暴風強雨によってたまたま裏の崖が崩れ落ち、大日如来が安置される堂が埋没してしまった。しかし、その時大日如来はまるで生きているように堂の東、約十間(二〇メートル)ほどのところへ移動し、その難を避けられた。村民はこれに驚き、敬い、茅葺の堂に仮に遷した。

 長らくそのままであったが、徳川家の時代になり、これが改まることになった。地頭長坂権七郎公がこの村を知行していた。公はある夜、不思議な夢を見られた。それによって寛永二年(一六二五)堂舎を再建し、浄土宗の僧侶である聞能上人を開山として迎えた(以前は天台宗であったが、これをもって浄土宗に改めた)。それによって、当山に安置される大日如来は広く知れ渡り、信者は日に日に増して仰がない者はなかった。

 そのもっとも不思議な利益を蒙ったのは、宝暦六年に起こった江戸の大火の際の中橋桶町の信徒である。その者は急な火災に為す術なく、周りを火に囲まれた時、ただ一心にその功徳を信じ「南無大日如来」と称えると、囲まれていた炎からその難を免れることができたという。この恩に報いるため、当山の堂宇を修繕し、手水の石水盤を寄付した。

 また、天明年間には、江戸深川の信徒が流行り病を免れ、鳴鏧をひとつ当山佛前に喜捨した。

 これらの功徳によって、当山の大日如来は、火防せ、厄除けの如来と称されている。

 今ここに、当山の大日如来の由来を述べ、一、二の利益をあわせて記しておく。

 

 寛政三年(一七九一)四月、武蔵国橘樹郡稲毛領久本村 大蓮寺

 明治二十年(一八八七)五月、改刻する。

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