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大蓮寺 沿革

名 称 : 光明山 照曜院 大蓮寺

 開 山 : 聞能上人(?~延宝6年[1678]7月29日)

 開 基 : 長坂権七郎 山室剱空居士

 開 創 : 寛永2年(1625)

​ 所在地 : 〒213-0011 川崎市高津区久本2-8-5

​  ※ 準西国稲毛三十三所観音霊場 第22番札所

宗 派 : 浄土宗

宗 祖 : 法然上人(法然房源空:1133~1212)

開 宗 : 承安5年(1175)

本 尊 : 阿弥陀如来

教 え : 阿弥陀如来の平等の慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えて、極楽浄土に生まれることを願う。

所依経典 : 浄土三部経 『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』

大蓮寺は、東国巡化をされた行基菩薩が久本に立ち寄った際、流行していた疫病に苦しむ村人を救うために滞留し錫を留め、大日如来を彫刻して病災消除し、草堂を創建してその像をまつったことに始まります。その後、暴風雨などによって崖が崩れ堂宇が埋没しましたが、大日如来像は東へ20mほどの所へ生きているように移動して難を避けたことで村人は驚きと崇敬の念を抱き、仮堂を建ててふたたびまつられました(詳しくは「大日如来縁起」を参照)。

 寛永2年(1625)本堂が再建され、地頭・長坂権七郎が開基となり、明誉聞能上人を開山に迎え、天台宗を浄土宗に改めて現在に至ります。

 準西国稲毛三十三所観音霊場の第22番札所でもあります。

平安時代

 行基菩薩、聖武天皇(在位:724-749)の勅を蒙り、東国巡化の際、当地に流行していた疫病の消除のため滞留し大日如来を彫刻する。

 大日如来安置のため、一宇の草堂を創建し、「光明山 照曜院 大蓮寺」と号す。

 

江戸期以前

 寺域・堂宇は次第に衰退する。

 暴風強雨の際、たまたま丘崖崩れ落ち、堂宇埋没する。その時に大日如来像は東の方へ十有余間(約20m)ほど、生きているように動座しこの難を避けた。村民はこれを驚き敬い、仮に茅茨の屋に遷した。

寛永2年(1625)

 本堂が再建される。

 11月10日、明誉聞能上人を開山、長坂権七郎を開基とし、天台宗を浄土宗に改め開創される。

 

延宝元年(1673)

 2月21日、第2世 壇朝上人 遷化。

 

延宝2年(1674)

 6月19日、第3世 雲山上人 遷化。

 

延宝6年(1678)

 7月29日、開山 聞能上人 遷化(82歳)。

延宝7年(1679)

 4月27日、第4世 利的上人が願主となり、大日如来を修造する。

​ 6月8日、三五郎大日如来の宝冠・装飾品を作製し納める。

貞享4年(1687)

 3月18日、第5世 傳龍上人 遷化。

 

元禄14年(1701)

 2月22日、第6世 長翁上人 遷化。

 

享保13年(1728)

 9月17日、第10世 春説上人 遷化。

 

寛延2年(1749)

 6月9日、第9世 龍高上人 遷化。

 

宝暦6年(1756)

 10月10日、第12世 麟應上人 遷化。

 

宝暦10年(1760)

 2月6日、宝暦の大火

 江戸・中橋桶町の信徒・某、大火に為す術ないところ、一心にバン字の功徳を念じて「南無大日如来」と唱えたことにより、四面火中から免れることができた。この報恩のため、堂宇を修繕し、并びに洗漱の石水盤を寄附する。

宝暦13年(1763)

​ 3月、山田平七、西国三十三観音霊場になぞらえ、近郷に三十三ヵ所の観音霊場を発願。

明和3年(1766)

 11月11日、準西国三十三所観音霊場発願主・山田平七 逝去(平・薬王庵に埋葬。源応道本居士)。

 

天明元年(1781)

 10月10日、江戸の信徒(『略縁起』には「深川」、鏧銘文には「中橋桶町」とあり)、流行病を免れ、鳴鏧を仏前に喜捨する。

天明4年(1784)

 2月24日、第13世 哲應上人 遷化。

寛政3年(1791)

 4月、『大日如来略縁起』記される。

文化10年(1813)

 5月29日、第18世 善了上人 遷化。

 12月23日、第19世 了察上人 遷化。

 

安政3年(1856)

 1月19日、第20世 全鳳上人 遷化。

慶応年間(1865―1868)

 大暴風雨により諸堂倒壊。

明治16年(1883)

 3月28日、第22世 豊忍上人 住職就任。

 

明治18年(1885)

 本堂(兼 庫裡)を再建する。

明治20年(1887)

 5月、『大日如来略縁起』改刻される。

明治31年(1898)

 5月18日、第21世 全戒上人 遷化。

 

明治37年(1904)

 7月10日、第22世 豊忍上人 遷化。

 

明治38年(1904)

 11月15日、第24世 東戒上人 住職就任。

明治39年(1905)

 12月15日、第25世 智光上人 住職就任。

明治40年(1907)

 4月27日、第23世 信随上人 遷化。

 

大正2年(1913)

​ 3月、境内整備、慶讃法要記念塔建立。

大正8年(1919)

 10月10日、第26世 霊定上人 住職就任。

昭和31年(1956)

 観音堂、造立。

昭和40年(1965)

 3月、観音堂、放火により焼失(観音像はたまたま本堂に安置されていたため難を逃れる)。

 10月29日、第27世禅誉定康上人 住職就任。

昭和43年(1968)

 観音堂、再建。

昭和44年(1969)

 1月8日、第26世 霊定上人 遷化。

昭和53年(1978)

 4月、準西国稲毛三十三所観音霊場 御開帳。

昭和56年(1981)

 本堂 新築。

平成2年(1990)

 照曜会館、客殿、庫裡 新築。

 4月、準西国稲毛三十三所観音霊場 御開帳。

平成14年(2002)

 4月、準西国稲毛三十三所観音霊場 御開帳。

平成24年(2012)

 11月19日、第27世 定康上人 遷化。

平成25年(2013)

 5月10日、第28世覚誉雄人 住職就任。

 観音堂 改築。

平成26年(2014)

​ 4月、準西国稲毛三十三所観音霊場 御開帳。

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